どちらにしようかな

今週のお題「2014年、夏の予定」

私は今、大学4年生である。

毎年夏はゼミで海外に行かねばならなかったので、

夏と言うと東南アジアでゼミ生と一緒に過ごした日々や、その場所の景色が浮かんでくる。

そんな夏を毎年経験していたためか、今年も東南アジアに行くつもりでいた。行く気満々だった。

だが突然、ふと「学生最後くらいゆっくりと、日本の夏を満喫したい」と考えるようになった。

これはただ単に自分のスタミナが無くなったからなのか、東南アジアに魅力を感じなくなったからなのか…。

恐らく前者であるとは思うけれど、なぜだろうか。まだ答えを掘り下げられていない。

日本で夏を過ごし、たまに小旅行をして温泉に入って、

毎日好きな本とか漫画読んで映画を見てドラマを見てひたすらゴロゴロして…。そういうことをしたいのだが…。

でも一方で、大学最後の夏休みをそんなに怠惰に使って良いのか?と思う自分もいるのだ。

果たしてどちらを選択すべきか。答えはまだ出ていない。

夏休みの自由研究≒論文?

問題意識というものを持っているか。


問題意識は、大学生になって論文を書く際にとても重要なものだ、というか、
問題意識がなければ、論文は始まらないし、何が書きたいのかという軸もないため、
何を言いたいのかわからない文章になる。


小学校の時に、夏休みの自由研究というものがあった。
夏休みの間に、自分で課題を設定して取り組む研究のことである。
典型的な研究としては、アリの観察や植物の経過についてのものである。
私的感覚だが、その中で突飛なものを考えた人(もちろん、熱心に研究もしている)が受賞するということが多いという印象があった。
私は、専らそういうものが嫌いであったため、いかにこんな面倒くさいことを楽に終わらせるかを毎年必死に考えていた記憶がある。
だって、調べたいことなんてないんだもん!!!
つまり私は、基本的に問題意識を持たない人間なのだろう。
そして、小学生の時に熱心に自由研究をしていた人は、
小学生の時から「問題意識」というものを持ち、そして今も、持って行動しているのだと思う。小学生の時から持っていたのだからね。

大学生で書く論文というものは、自由研究とほぼ同じなのではないか。
小学生の時の自由研究=大学生の論文、くらいの難しさなのかはわからないが。
でも当時は、夏休みの課題の中で自由研究が一番嫌いだった。

とにかく、私は問題意識を設定することが苦手だ。
問題意識は広すぎてもいけないし、狭すぎてもいけない。
ちょうど良く、上手く、必要なものを盛り込んでいかなければならない。


ところで、問題意識を持てる人と持てない人の違いはなんだろう??
別に何にも疑問を持たない人がいたとして(まさしく私だが)
なぜ疑問を持たないのか。それは単純に、知識がないからであろう。
知識がないから、何も考えることをしない。他の似たような知識と比較、関連して考えたり
「これとあれは反対なのではないか」などなど、反対の意見なども何も述べられない。
すごく単純な答えだけれど、これは本当にそう思うのだ。
あとは、鋭く、そして批判的に考えられる人でなければならない。
これは知識うんぬんということでなく、生まれつきの性格も出て来るであろうから、容易にそういう視点を持つことは出来ないが、
訓練も必要だと思うし、批判的に考えるためには、やはり知識というものが
必要なのではないか、と考える。あと、人とのコミュニケーションも。


知識知識ばっかり言っているが、勉強するだけの知識だけが必要というわけではない。
知識だけの人間だと、頭がカチカチの人間になってしまう。
たぶん、問題意識を持てる人というのは、日常の中の疑問を、
自分で調べたり本を読んだりして解決していくのだろう。
「論文を書け」なんていきなり言われても、今まで蓄えた問題意識がすらすらと出て来るに違いない。


日常の中にも、問題意識を持てる人でありたい。
=いろんなことに詳しくなろう。机の上の勉強だけでなく、いろんなことを体験して知ろう。
「小学校の時に出来なかったんだから、きっと無理だろう」
と思ったりもするが、人生まだまだこれからだし、
きっと大器晩成型だろう、というかなりのプラス思考で、
とりあえず今年残り1ヶ月、突っ走って行こう。

(ちなみに、今論文や卒論に追われているわけではない)

食パン選び=人生

30代半ば〜40代になってくると、自分の生活が確立されてくるのではないか、と思う。


例えば、食パンで言えば、20代の頃は、いろいろなメーカーがありすぎてどのメーカにするか迷い、(ヤマザキの本仕込みにするか、新食感宣言にするかetc...)違うメーカーのものをいろいろ試しに買ってみて、自分の好きなメーカーを理解していく。


30代〜40代になると20代に「おいしい」と思ったものを毎週買うようになる。パンは絶対ヤマザキのふんわり、キムチは絶対牛角のやつ、など。いわば自分の生活が確立されてくる。そして、買い物の時間はだいぶ短縮される。


これを人生に置き換えてみても、同じことなのではないか。


20代のときにやりたいことを探し始め、試しにいろいろなことを経験してみる。30〜40代になると、仕事をしていて、それ中心の生活が確立されてくる(でも、そのまま会社に拘泥してはいけないと思う)


自分の好みのものを探すことや、20代の頃に自分のやりたいことを探すことなど、いろいろ悩みはすると思うが、時間をかけて、無駄なことではないと思うのだ。20代の頃はいろいろ悩んだり行動したっていいのではないか。自分の意見が確立したりするのは30代、40代の頃からでいいと思うのだ。


こんなことを考えたのは、今日買い物について行き、その人が「ソーセージはこれ、プリンはこのメーカー」というように買っていたからだ。私の母親もそうだった。「ミートソースはこれ、カレールーはこれ」という風に。アメリカのホストマザーもそうだった。ちなみに例えに食パンを出したが、特に理由はない。


私は、早く大人になりたい。早く30代、40代になって自分を確立させたい(その時も確立されてないかもしれないけれど...)
だから、そのために20代の頃はいろいろ悩んでみることにする。壁があったとしても、それに立ち向かっていくようにする。そのことが、未来の自分を作るのであると思うから。


まあ、当てはまらない人もいるだろうけれど、大抵の人がこんな感じなんじゃないかな。


ちなみに私はヤマザキの本仕込みか、ふんわりが好きだ。

私流元気の出る方法

・音楽を聞く(THE BLUE HEARTSとかJUDY AND MARYとかワイワイしている曲)

・お笑いを見る(特に松っちゃんのやつ。ガキの使いやあらへんで!がいちばん)

・たいやきを買う(たいやきが大好き。というかあんこが大好き。回転焼きでも可)

ホタルノヒカリを見る

・お酒呑む(一の蔵か綿屋がいいけど、今はメキシコにいるのでルービー)

・夜中に近くの自動販売機まで全力疾走で炭酸飲料(コーラかデカビタCドデカミン)を買いに行く。

・夜中に牛丼やビックマックなど、重いものをあえて食べる(これはかなり太る)

・踊る

・京都に行く

・なーんもしない

・本を読む

・映画を見る

・どこかに出かける

・アホらしいことをして、「アホらしー」と思って笑う

・人と話す(アホらしい、馬鹿馬鹿しいことを)


特に元気が出るのは、ホタルノヒカリを見ること、人と本当にどーでもいい、くだんない、他愛ない話しをすることかなー。特に私とくだんない話をしてくれる人々たちには、とても感謝している。ルービーは、元気がある時でも最近呑みたくなってしまう。なぜだ。二日酔いを克服したからか。


なんか、別に悩んではいないけれど、いろいろなことを同時進行させて行うのは大変だなあ、と最近思っているのだが(だから、大学受験のことを思い出して、国立受験だった人を今本当に尊敬している。みんななんで9科目?11科目?も勉強出来たんだろう...ほんとすごいよなー大学受験に限らず、いろいろなことを同時進行させている人を見ると、本当にすごいと思う。)でも、ある人の言葉「何とでも両立させる」という言葉が私を奮い立たせている。あと、目標が出来たからだ。たぶん今頑張れなかったら、今後も頑張れないだろう。だから今頑張る。もしその目標が達成出来なかったとしても、これは人生の糧になるのではないか。


最近は平日は朝5時起き、勉強して、6時45分から朝の散歩に出かけ、9時から14時まで授業があって、14時30分に帰宅、15時から16時過ぎまでお昼ご飯を食べ17時から21時まで図書館に行き勉強、21時半帰宅、夜ごはんを食べたりお風呂に入り、1時間自分の趣味の時間を設け(本読んだり)12時までに寝るようにしている。土日はほとんどなんもしない。本当になんもしない(好きなことだけをしている)ことによって、また月から金まで頑張れる。なんもしないことって、大切なんだ。まあ、平日に行けない分土日に生活用品を買いに行くことが多いが、それはなるべく午前中に済ませている。


かなりのナマケモノの私がなぜ最近こんな生活が出来るのかが、自分でもよくわからない。たぶん、土日に何もしたくないから月〜金でやろう!!!と思っているからか?あと、さっきも書いた「何とでも両立させる」という言葉と、目標が出来たから?まあ、日本にいる人よりも、全然ゆっくり出来ていると思うが。とにかく、続けてみようと思う。

でもこれって、日本にいたらバイトとかあるから多分成立しないだろうなー。でも、出来るだけこんな風にしたいなあ。

イヤホン

イヤホンをなくした。それはもうそれはもう悲しくて、いろいろな場所を探しまわっていたのだが、やはり見つからなかった。

なぜ私がそんなにイヤホンごときで悲しくなったのか。

私は、音楽をよく聞く方である。しょっちゅう聞いている。ipodかイヤホン、もしくはどちらもを忘れた時は絶望的になる。

でも、私のイヤホンは月1で壊れる。理由は分かっている。私の物使いが荒いからだ。音楽を聞かない時に、ipodにイヤホンをぐるぐる巻きにすると、すぐに壊れる、が、私はそれをしてしまう。それがいちばん手っ取り早いから。あとは、音が聞こえなくなったり、壊れはしないものの耳に入れるフワフワをなくしてしまったり、もういろいろ。

そういうわけで、安いのを月1で買うより、高いやつを買ってずっと使った方が結果的に安上がりで済むのでは、と思い3ヶ月ほど前に、イヤホンにこんな金をかけるのはどうか...とすごい悩みながら1万以上もするイヤホンを買った。BOSEの。音がとてもよく、イヤホンは耳から落ちてこない。(私は耳が小さいらしく、だいたいのイヤホンはすぐ耳からイヤホンが外れる)音の調節も、わざわざiphoneの画面を操作しなくても次の曲に変えたり、一時停止したり出来る。(ただ、今私の使っているipodは4〜5年前ものなので、画面を操作しなくてはならないが...)

そんなBOSEのイヤホンを、私はなくしてしまったのだ。イヤホンなんてなくしたことはないのに、なぜ今回だけ...。しかも、どこで...。これは私に、高価なものは買うなという暗示だろうか。あーあ。。

Nike+

Nike+というものがあり、ipodと連携でき、ランニングしている時に使えるらしい。

標数値を設定し走り、ipodが「目標半分まで来ました」「目標達成しました」など言ってくれ、そしてその記録はちゃんと記録されるらしい。

自分のNikeNike+かどうか早速調べてみると、なんとNike+だった。

左足のインソールをめくると、ipodと連携できる機械を入れられるポケットがあったのだ。

自分の靴にそんなものがついていたので(購入したのは4ヶ月ほど前であるが)、ipodと連携できる機械欲しい!!と激しく思い、今日Nikeショップまで行き

その機械の前でずーーーーっとそれを見ていた。

なぜ私がそれを欲しいのか。それは、走った記録が残るからであると思う。しかしよくよく考えてみると、私は走るのが大の苦手であるのだ。よって、ipodと連携させる機械を買っても、きっと走らんだろう、と思う。

でも、このNike+、結構私の購買意欲を誘いました。

夏に聞きたい、怖い話

今週のお題「夏に聞きたい、怖い話」


書きたいことがあったため、ふと久しぶりに
「日記、書こう!!!」と思ったのだが
(やはり最初の日記に書いたとおり日記は続きませんでした...)
「お題」のところに目がいき、なぜか「よっしゃ書いてみるか」という気分になったので今これを書いている。
書きたかったことはまた今度にする。
ていうか、こんなお題制度ありましたっけ?期間限定?


夏に聞きたくなる、というわけでもないが
私が一番覚えている「怖い話」というものは
「恐怖のシウマイ」というタイトルであった。


ストーリー(小学生の時の記憶なので勝手にストーリーがcreateされてるかも)
ある暑い夏の日の夜中に、一人の男性がシウマイを買って帰っていた。
途中でお腹が空き、シウマイ、食べようかな、という気分になり
シウマイのふたをあけると1つシウマイがない。
後ろを振り返っても誰もいない。
不思議に思いつつも彼は歩き続けた。
しばらくしてまたシウマイのふたを空けると
またシウマイが1つなくなっている。
もちろん後ろを振り返っても、周りには誰もいない。
不思議に思いながらも歩き続けているととうとう最後の1つになってしまった。
そして、最後の1つのシウマイがあるかどうかを確かめるために
彼がシウマイのふたを空けると、、、最後のシウマイもない!!!!!!
彼はとても怖くなり逃げ出したくなったが、ふと、ふたの裏を見てみると
すべてのシウマイがくっついていた。。。ちゃんちゃん。


というストーリー。笑
この馬鹿馬鹿しい、フッと笑ってしまう話は、
いとこ達と一緒におばあちゃんの家に泊まっていた時に
一番上の従兄弟(男)がよくしてくれた話だ。
それでも、最初聞いた時は本当に怖かったのを覚えている。
従兄弟の話し方が上手だったのかな。
従兄弟はとても面白い人で、他にも面白い話を
夜な夜な寝る前に話してくれ、そのたびに
私たちは大声をあげて笑っていたものだ。
(きんたの大冒険とか。。。笑)
さすがに今は、ほとんどが成人してしまったため
おばあちゃんの家にみんなで泊まることもなくなり、
おばあちゃんの家に泊まると恒例だった、
これらの怖い話を聞くこともないけれど...。
それが少し寂しい。


他に話してくれた話はすっかり忘れてしまったが、
この「恐怖のシウマイ」だけは覚えている。(うっすらとだが)
だから、私が「怖い話」と聞いて思い浮かぶのはいつもこの話である。


というか、この話しか知らないので、他のバリエーションも用意すべきかと最近考えている。
それでも、この「恐怖のシウマイ」は私の中で一番の怖い話(怖くはないんだけれどね)として心の中に残り続けるであろう。