夏休みの自由研究≒論文?

問題意識というものを持っているか。


問題意識は、大学生になって論文を書く際にとても重要なものだ、というか、
問題意識がなければ、論文は始まらないし、何が書きたいのかという軸もないため、
何を言いたいのかわからない文章になる。


小学校の時に、夏休みの自由研究というものがあった。
夏休みの間に、自分で課題を設定して取り組む研究のことである。
典型的な研究としては、アリの観察や植物の経過についてのものである。
私的感覚だが、その中で突飛なものを考えた人(もちろん、熱心に研究もしている)が受賞するということが多いという印象があった。
私は、専らそういうものが嫌いであったため、いかにこんな面倒くさいことを楽に終わらせるかを毎年必死に考えていた記憶がある。
だって、調べたいことなんてないんだもん!!!
つまり私は、基本的に問題意識を持たない人間なのだろう。
そして、小学生の時に熱心に自由研究をしていた人は、
小学生の時から「問題意識」というものを持ち、そして今も、持って行動しているのだと思う。小学生の時から持っていたのだからね。

大学生で書く論文というものは、自由研究とほぼ同じなのではないか。
小学生の時の自由研究=大学生の論文、くらいの難しさなのかはわからないが。
でも当時は、夏休みの課題の中で自由研究が一番嫌いだった。

とにかく、私は問題意識を設定することが苦手だ。
問題意識は広すぎてもいけないし、狭すぎてもいけない。
ちょうど良く、上手く、必要なものを盛り込んでいかなければならない。


ところで、問題意識を持てる人と持てない人の違いはなんだろう??
別に何にも疑問を持たない人がいたとして(まさしく私だが)
なぜ疑問を持たないのか。それは単純に、知識がないからであろう。
知識がないから、何も考えることをしない。他の似たような知識と比較、関連して考えたり
「これとあれは反対なのではないか」などなど、反対の意見なども何も述べられない。
すごく単純な答えだけれど、これは本当にそう思うのだ。
あとは、鋭く、そして批判的に考えられる人でなければならない。
これは知識うんぬんということでなく、生まれつきの性格も出て来るであろうから、容易にそういう視点を持つことは出来ないが、
訓練も必要だと思うし、批判的に考えるためには、やはり知識というものが
必要なのではないか、と考える。あと、人とのコミュニケーションも。


知識知識ばっかり言っているが、勉強するだけの知識だけが必要というわけではない。
知識だけの人間だと、頭がカチカチの人間になってしまう。
たぶん、問題意識を持てる人というのは、日常の中の疑問を、
自分で調べたり本を読んだりして解決していくのだろう。
「論文を書け」なんていきなり言われても、今まで蓄えた問題意識がすらすらと出て来るに違いない。


日常の中にも、問題意識を持てる人でありたい。
=いろんなことに詳しくなろう。机の上の勉強だけでなく、いろんなことを体験して知ろう。
「小学校の時に出来なかったんだから、きっと無理だろう」
と思ったりもするが、人生まだまだこれからだし、
きっと大器晩成型だろう、というかなりのプラス思考で、
とりあえず今年残り1ヶ月、突っ走って行こう。

(ちなみに、今論文や卒論に追われているわけではない)